奄美大島の紹介

奄美大島の景観

<八月踊り>稲作がひと段落ついた夏に集落単位で行われます。
多数の男女で円陣を組むもしくは、渦巻き状になって声を掛け合いながら踊ります。踊りの種類が多いところでは60曲を越す所もまれではなく、踊りを一か所で踊り続ける所もあります。
井之川地区「夏目まつり」

<諸鈍シバヤ>加計呂麻島の諸鈍集落の大屯神社の境内で、主に旧暦9月9日に行われます。
出演者は本土でいう出端の歌で入場し、演じ終わると、入端の歌で楽屋に入ります。美女の人形や獅子が出てくる「タマツユ」
座頭がでてこっけいな寸劇を演ずる「ザットドン」などがあってとても多彩です。国指定重要無形民俗文化財に指定されています。

朝方、太陽が昇ろうとする頃に「ショチョガマ」と呼ばれる柱だけの小屋の屋根に人々が大勢集まり、掛け声で稲穂が実の重さで倒れるようにと小屋をゆすります。すると、小屋が押し倒されて来年の豊作が約束されると伝えられています。
夕方は、海辺で「ノロ」「グジ」と言われる神人が「神ヒラセ」「女童ヒラセ」と言われる岩の上に上り招きの手振りをし、歌を掛け合いながら「稲魂(いにゃだま)」を招きます。国指定重要無形民俗文化財に指定されています。

<油井豊年踊り>奄美大島瀬戸内町油井集落に伝わる豊年祭り。
集落のミャーといわれる所で「綱引き」から始められます。
その綱引きに突如 獅子の恰好をした男が現れ綱を切ります。
それを誰かが繋ぎ、また切り、これを3度繰り返し、綱の半分で土俵を作ります。その土俵で、青年たちが相撲を取り、そのあと出演者が登場して踊ります

<節田マンカイ>奄美大島笠利町節田集落に伝承される正月の芸能です。
歌好きの男女が集まり、三味線と太鼓で始めます。
男側と女側が座って列をなし、男女向き合って、両者手招き風の所作をしながら歌をかけあいます。テンポがだんだん早くなっていき、最後は興奮して膝たちの状態になります。

江戸時代、奄美諸島は対外的には琉球国の内とし、内部的には琉球と切り離して薩摩藩の直轄地として治め、黒糖製造の一大プランテーション化とし、その収奪は過酷を極め税を納めきれない人々は債務奴隷として島の有権者に身売りをし、家人と呼ばれました。
日が昇り、落ちるまで働きずくめであった先人立ちの最大の楽しみが島唄を掛け合って遊ぶ"唄あそび"でした。

じゅうしちはちぬくるや ゆぬくれぃどまちゅる
(十七、八の頃は 夜が暮れるのをまっている)

いつぃがゆぬくれぃてぃ わじゆなりゅり
(何時になったら夜がくれて 私の自由がやってくるのだろうか)

など歌いながら作業をし、夜が来て仲間たちと"唄あそび"をする事が明日への勇気へと、希望を、奮い起こさせてくれた事でしょう。
仲間たちが集い、次々と歌詞を掛け合いながら歌い継いでゆく歌遊びの現場では、ステージなどで歌に感情を込めて歌い上げる暇はありません。言詞のやりとりで決められた数に恋や思い、世間の噂話などをのせて即興的に相手を歌いあう事を楽しみます。
それには悲しを乗り越えた前向きな楽しさがあります。